生きていく意味
命はたったひとつ。大切にしなければならないとオトナたちは言っていたけれど、年間、自殺する大人は2万人近くいる。
自殺は禁忌。それは本当なのだろうか。
一日に50人以上自殺するのがニッポンだ。
他人の命を救えるお金があっても、それとは使わず、テーマパークの入場料に充てたりして。
それとこれとは話が別だよ。
だって、その別なところにいる人は、ここから見えないのだから。
そういうふうに過ごしてきた。
激しい苦しみの中にいる人に、やがてイイコトがあるよ、と言う人間は、同じような激しい苦しみを知らない場合が往々にしてある。往々どころか、幸福な生き方をしてきたのだろう。他人に命の尊さを説くことが出来るなんて。
命は大切。
自分と自分を紐づける唯一のものだから。
けれど、命よりも大切なことはもっとあるし、自分の命の価値を他人に諭されたくないような気もする。
生き方で、命の重さは変わってくる。
この世には、幸せと不幸せが平等に訪れるということはないし、苦労の後にはその恩恵が受けられるという確証もない。
自殺がいけない理由を大人たちに聞いても、つきつめたところでは濁った答えが返ってくる。ぼんやりとした正論だ。
ただ、生きていくだけで、こんなに苦しい世の中で。
うつ、その時。
太陽が反転していました。やさしかったあの人の顔も。
光が陰り、影が際立つ。
港から心が離れていく。遠ざかる。馴染んだ岸から遠ざかる。
ここに置かれたままの私の心が壊れる音を聞きました。
爪がたてられて、それはそのまま、下に、引き下ろされて。
あらがえない痛み。それが痛みであることさえ、気づけない。
たたき続けたドアも、走り続けた夜の道も、
私がどうにかなってしまったことを教えてくれません。
月に照らされたカタチが、本当のカタチ。
誰にも、自分のことしか見えない。
私も私のことしか見えない。
あの人もあの人のことしか見えない。
私の、気狂いの始まりの日。