My Back Page

上手に生きられない人間の暮らし。

ijime(悪い)

 8050問題を脱却したという親子の講演会を聴きに行った。聴衆にならいつだってなれる。檀上に上がりさえしなければ。

「8050問題に直面したときには、どうなることかと息子と思い悩んだのですが、無事、私が81歳、息子が51歳になりました。」と挨拶すると会場から拍手が沸き起こった。

 公演の最後の方で司会者が「会場の皆さんから何か質問がありませんか?」と問いかけられると、一人の中年女性が手を挙げた。係員からマイクをひったくるようにしてその女性は、「団地に住んでるんですけれど、上の住民が深夜にシャワーを浴びたり、騒いで笑い声を立てたりして不眠気味です。こういう非常識な住民には出てってもらいたいと思うんですけど、どうなんですか!」と捲し立てた。

 81歳の父親は、落ち着き払ってこう答えた。

「団地・・・。それはカオスそのものです。考えてもごらんなさい。あの四角い豆腐の中にありとあらゆる年代、人種、価値観、生活スタイルがごっちゃになって暮らしているのですよ。何事もないほうが不思議でしょうに。それにあなた知っていますか?団地はそれほど防音施工されていないことがほとんだ。階上の住民の足音だと思っていた音が、実は斜め上の住民の立てる騒音であったり、そんなことは日茶万事ですよ、にっちゃばんじ。どうでしょう。ドシドシと足音が聞こえてきたら、軽快なサンバのリズムを今日も聴けてラッキィだったと思うようにしては。」

「あ・・・。そうなんですね。なんだかわたし・・。よく知らないで自分の不都合ばかりに気を取られて・・・。恥ずかしいです。」

 ぺたんと座り込んだ。会場からは、おおーっという声があがった。「さすが、8050を超えた人は違う。」「いぶし銀のような言霊を感じたよ。」とそこかしこで聴衆が囁きあっていた。

 帰り道、リサイクルセンターに寄った。「いじめ」という本が置いてあったので読んでみたが、どこぞの自己啓発に目覚めた人が、聞こえの良い言葉ばかりを並べて、あったかい雰囲気を醸し出しているものの、どうしたら「いじめ」が無くなるのかについてはまったく書かれていなかった。とてもつまらないから、小腹を満たしに寄ったマックのゴミ箱に捨てた。

 ひきこもりが社会問題化しているが、ひきこもりの原因の一番は、学校や会社でのイジメである。ひきこもりをどうするか、ではない。イジメをどうするかなのだ。

 マックではガキがわめき散らしていた。不満を大衆意識を最大限に利用して、間接的に主張しようとするあの姑息で耳障りすぎるわめき方だ。ぼくは心底、五月蠅いと感じた。子どもの声が煩いと住民運動があって保育園や幼稚園の設置が捗らないという話を聞いたことがあるが、最もな意見のように思えるし、私は子どもとは縁がなく人生を終える予定だから、どちらかといえば、住民運動する側なのかも知れない。

 多様な価値観は認められるのならば、子どもが嫌いな人も、好きな人も、両方が快適に過ごせる環境が大切で、少子化施策が進み、子育てしやすい環境が整う一方で、子どもとは何ら関係のない人生を送ろうとする人が、子どもの声を煩いと感じるのは当然のような気がする。だが、それを口にすれば心無い人だと思われてしまうのだろう。

 

 そんなことを考えながら、昔、マックシェイクを飲んでひどくオナカを壊したことがあったと思いだした。別にマックシェイクが悪いのではなく、ぼくはオナカが弱いのだ。だから、夏の日差しの厳しい折に、勢いに任せてシェイクを飲むと、大変な苦痛に見舞われることになる。あのときは、道端で激痛に襲われて、ドトールに駆け込み、席で蹲っていた。ひどい痛み方に店員が心配するほどだった。

 マックシェイクによる痛みをドトールの店員が心配してくれる世の中に、温かみを感じた。次回からはマックシェイクはホットで注文しようと思った。